あなたは論理的ですか、と質問されたらほとんどの人は、私はまあ論理的なほうです、と答えるそうです。
街を歩いている人にそう問うたのではなく、経営セミナーの参加者に講師が尋ねるシチュエーションを想定してください。
講師は、その根拠はなんですか、と質問を重ねそうです。あなたは、自分が論理的であると思っているようだが、その理由を論理的に説明してみよ、と。そう言われると、さあそれは、と首を傾(かし)げて、多くの人は答えられないそうです。
もっとも私は、この手のセミナーに参加したことがありません。この逸話が事実に基づくものか判断しかねますが、検索すると似たような話が散見されます。
あなたは論理的ですかと質問されれば、私は、はい、と答えます。その理由はと聞かれれば、私は、プログラミングできるから、と言います。
論理的でない人はプログラミングできませんので、プログラミングできるのは論理的な人です。
こう言うと、プログラミングできなければ論理的とは言えないのか、と詰(なじ)る人が現れそうです。もちろん、そんなことは一言も申しておりません。
プログラミングできるのは論理的な人ですが、論理的だけどプログラミングできない人もいます。そう聞いて、なんだか騙(だま)されているような気がするのは、きっと論理的ではない人です。
論理的な人でも、初めからプログラミングできる人はなかなかいません。教えてもらって勉強しないとプログラミングできません。
プログラミングできない人が、プログラミングできるようになるには、当然ですが、論理的な人になるべきです。論理的な人でなければプログラミングできないわけですから。
そして、論理的でない人が論理的な人になろうとするには、プログラミングすることが近道です。
プログラミングできる人になろうとしている人には論理的になれと言い、論理的になろうとしている人にはプログラミングせよ、と。そう聞いて、なんだか謀(たばか)られた気がするのは、きっと素直ではない人です。
素直な人とは、プログラミングの教科書に書かれていることを、とりあえずやってみる人です。
なぜこんなことをするのか納得できなくても、書いてあるとおりにプログラミングすればコンピュータは動くのです。
やってみれば分かりますが、自分の思ったとおりにコンピュータが動いてくれれば、プログラミングできた、と、うれしくなります。プログラミングできない人でもそう思えるのです。
それでプログラミングできる人になったとは言えませんが、これでプログラミングできたと言えるのです。そう聞いても腑に落ちないのは、きっと大雑把な人です。
細かい違いに無頓着な人は、プログラミングには少々マイナスです。コンピュータは0とOを違うものとして扱います。同じように見えてもプログラミングの現場では、ゼロとオーを区別しなければなりません。
それは分かるが、プログラミングできたと思ったのならプログラミングできる人でないか、と、問われれば、ならばこんな例はいかがでしょうか
アメリカで生まれ育った5歳の子どもが英語をしゃべっているからと言って、この子は英語ができると言えるでしょうか。英語のできる人という求人で求められる英語の能力は一般的に5歳の子どものレベルではありません。
同じように、プログラミングできる人と、プログラミングしている人は違うのです。
約(つづ)めると、プログラミングしていれば、論理的に考えることができるようになって、やがてプログラミングできる人になる。そういう論旨です。
それだけならそう言えばよかったのに、何をぐだぐだぐるぐるぐずぐずと。というご意見はごもっともで、私も同感です。
それに対しては、プログラミングってそういうものだから。プログラミングすれば分かりますよ、と。
最後に、プログラミングするだけの人ではないプログラミングできる人とはどういう人か。それは、論理的に考えることのできる人なのですが、それでは論理が循環している、とツッコミを入れる人は、きっと論理的な人です。
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