社長のコラム


波こさじとは末の松山

2025.05.26

清少納言の父、清原元輔(もとすけ)の歌が、百人一首にあります。

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは

「契(ちぎ)りきな」とは「約束したじゃないか〜」ということで、初句切れの歌であります。振られた男が、相手の女性に向かって恨みがましく申したのであります。

「かたみに」は「互いに」という意味で、「袖をしぼる」というのは、涙が出てきて、それを袖で拭っていたら、その袖をしぼらないと間に合わなくなるほど、涙がたくさんあふれている状態です。この辺りはもう解説を鵜呑みにしておきます。基本姿勢として私は素直に受け取る者です。


「末の松山」とは、当時の都から一番遠いところにあった松山で、宮城県多賀城市のあたりであろう。

そこは国府つまり地方行政の拠点でありました。869年の貞観(じょうがん)地震、周囲は津波の大被害に遭ったとき、松山までは波が来なかった。そこから「末の松山」は歌枕となり、「末の松山を波は越さない」というのは「絶対にあり得ない」さまを表す歌枕となった。

この歌は「あのときあんなに泣きながら、離れることなんて絶対にあり得ないって、約束してたじゃないか〜」それなのに女は心変わり反故にされたということで、それはそれで私も文句はないのです。

しかしながら、引っかかるところもあります。


歌枕といえば、逢坂関(おうさかのせき)があります。滋賀県大津市、ずいぶん内陸です。そんなところへ波は越さないでしょう。

波の来る可能性がゼロのところを波が越えないのは当たり前で、「逢坂関を波越さじ」では歌になりません。越えてもおかしくなかったであろうところを越えなかった、周りの小高い丘は越えたけれどもこの松山は越えなかった、そういう微妙なラインにあったとすれば、まだ納得ができます。

それにしても、と思うわけです。

地震は1000年に1度の規模だとしても、そこに住む人たちには初めての出来事。遭遇した彼らは、あれよりも規模の大きい地震はもう来るまいと考えたでしょうか。私はよもやとおびえます。越えそうなのにギリギリ波が越えなかったとすればこの松山を、よしや次も越えまいと言い切れたのでしょうか。


この歌を解説した文章は、WEB上にたくさんありますが、みんな間違っているのではないか。モノ申そうとしているのです。

越えたんじゃないの。

こんなところまで波は来ないと誰しも思っていた末の松山を、貞観地震の津波が飲み込んだのではないか。そこから「末の松山を波は越える」という歌枕が成立したのではないか。そのように考えた方が自然なのではないでしょうか。

すなわちそれは、「絶対にあり得ない」という意味ではありません。「絶対にあり得ないことでも起こり得る」のです。可能性がゼロの出来事を例えたのではなく、可能性がゼロだとみんなが思っていたようなことでも起こったことの例えなのです。


その解釈で読む方が、深さを感じます。「約束したじゃないか〜」という嘆きの裏に、絶対に越えない末の松山を波が越えたことは知っているけれど、という客観的な冷めた視線が含まれているのです。

英語に、これと似て非なる表現があります。「カサブランカ」という映画で、20世紀を代表する大女優のイングリッドバークマンが、これまた名優、ハンフリーボガートに向かってこう言います。

I wish I didn't love you so much.

あなたのことを、そんなに愛さなければよかったのに。いわゆる反実仮想の文法、I wish I were a bird. の風情です。日本語訳をそのまま受け取ると、バーグマンはボガートを愛してしまったことを後悔しているように読み取れます。しかし、英語のニュアンスでは、ここでバーグマンがあんなにボガートを愛さなかった可能性はゼロだと言うのです。


あのとき私は右にも行けた、左にも行けた、なのに私はあなたを愛してしまったが、それは間違いだった、残念、ではないのです。右にも行けなかった、左にも行けなかった、あなた以外は見えなかった、という告白なのです。

私が鳥のように飛べないのは、それは絶対に飛べないとは分かっているけれど、鳥だったらなあ、というのが英語の反実仮想なのです。

このような英語表現にかぶれた人がこの歌を解釈したから、絶対にないことが起こったことになったのではないか、と私は思います。あちらは絶対者のいる文化なのです。

もしそれがいないとして、そういう文化を前提にすると、ここには1回波が来なかったからもう絶対に来ないと言い切れる人がどれだけあっただろうか、波が来たのは想定外でしたと言って誰が納得するでしょうかと問題を提起したいのです。末の松山を波が越したことを想定の範囲内にしておきたいものです。

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