野球中継を見ていると、腕をぐるぐる回す人がいました。回れ回れと言うのです。
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
五七調の言葉のつらなりが最後の七音にくっきりと哀しみを添えています。有名な短歌です。
この2人は観覧車に乗ったのでしょうか、乗らなかったのでしょうか。お金がもったいないとか、高いところが苦手だとか、順番待ちの行列が出来ていたとか、乗らない理由はいろいろあるでしょう。乗らずともいいのです。回れ、回れ、同じところをぐるぐる回る観覧車を眺めながら、2人、語りあって過ごした1日に一生分の思い出を噛み締めた青春の1ページです。
この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日
こちらは七五調です。この短歌もまた人口に膾炙されています。いやん。同棲してますやん。2人で観覧車に乗ったことはなかったかもしれませんが、作った料理を日常的に食べさせる間柄にあったことは分かります。
この歌の作者はのちにインタビューに答えて、料理を褒められたのは、7月でもなく6日でもなかった、ついでにサラダでもなかったそうです。相手は恋人ですらなかったのかもしれません。思い出なんて、何でもいいのです。
繰り返される日常に幸福を見出そうとする姿勢に好感が持てます。一生の思い出となる特別な1日は来なくても、1年に一度くらいの出来事は多くの人にあるのです。
さて、本題です。
ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし
観覧車を眺めた時期もあり、起居をともにした季節もあって、さらに進展したのでしょう。パッカーンと、プロポーズされています。その申し出に対する回答が、この短歌になっています。
その前に、いわゆる婚約指輪の入った小箱を相手の女性の前で開ける行為が、パッカーンという擬態語になります。これに対し、カッコーンは、ちょろちょろ流れ落ちる水の重みに堪えきれなくなった竹筒がひっくり返ってそれを流し、翻って石を穿つ音であります。鹿威し(ししおどし)という装置ですが、良家の子女が適齢期を迎えてお見合いをするその行為が、カッコーンという擬音語になります。
観覧車は五七調、サラダは七五調として、では、この歌はどちらでしょうか。
「?」と「、」と、2つの記号がありますが、どちらでより長めの間を取るでしょうか。「?」が長いのは、五七調で読んでいる人であり、「、」の方が気持ち長くなる人は、七五調で読んでいます。
五七五七七の31文字を「五七、五七七」と区切るか「五七五、七七」と区切るかの違いですが、私は後者です。
ズボラとは、きちんとしていない、だらしないということですが、割合、幅広い状況で使用されます。この場面は、こんな私の「こんな」にあたる源泉が、まず口を突いて「ズボラ」という言葉になり、その後、回りを見渡して、傘の本数の多さに言及したように思えます。
よしんば「五七、五七七」とするならば、すなわち、ズボラであるがゆえに傘がたくさんあるのだとしたら、どのようにつながるのでしょうか。
それは、天気予報を毎朝確認しないのがズボラ、予報に関わらず傘も持たずに家を出るのはズボラ、帰ろうとしたら本降りで、あるいは驟雨にあったときにコンビニで傘を購入するのは無駄遣いのズボラ、それで玄関に傘があふれているというストーリーです。
そうならばむしろ、謙虚で可愛いと受け止めらるでしょう。冷静な第三者は、あざとさを感じるかもしれません。
そうすると傘たちは、安価のビニル傘が多く、一度使ったきりの新品が多いという内容になります。もしそうだったらいいのです。
もし、高価な傘が多いのであれば、それはどういう状況でしょうか。いろんな男性からプレゼントにもらった傘がたくさんある、とすれば男性にだらしがないという意味でのズボラでしょう。
あるいは、もし、壊れた傘が多いのであれば、それは捨てられないズボラ、整理整頓できないのでしょう。
それくらいだったらいいのですが、以前の現場で、傘立てに置いていた私のビニル傘がなくなっていました。篠突く雨に打たれながら帰途についた経験が複数回あります。他人の傘を平気で持って帰るズボラ、こういう人はズボラでない人にとって脅威です。
「ズボラだからこんなに傘がたくさんある」と読んで、そのたくさんの傘の中に私の傘が入っている情景が浮かびました。「五七五、七七」と七五調でこの歌を味わいたい理由です。
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