昔、中国に、盧生という男がおってな。墳墓の地を飛び出して、都に向かったそうな。
盧生をどう発音するか、私の記憶では、ろせい派、りょせい派、りょしょう派があり、その中間もいます。中間とは不明瞭な発音をする人ですが、ここでは「りょせい」と読んでおきます。
墳墓(ふんぼ)の地とは先祖代々の墓のあるところ、すなわち盧生の生まれ育った土地であります。思春期を過ぎた盧生は志あつく郷関を出ます。科挙(かきょ)の試験を受けるのです。
道中、邯鄲(かんたん)という街に立ち寄り、呂翁という老人に出逢います。この人にも、ろおう派、りょおう派、不明瞭派がありますが、ここでは「ろおう」と読んでおきます。
鍋を囲炉裏の火にかけて、呂翁は穀物を炊いていました。
この穀物にも諸説あり、主として、粟(あわ)派、黍(きび)派、高粱(こうりやん)派があります。私のなじみは黍です。
また、調理していたのは呂翁その人ではなく別の人であったという説もあります。この話は有史このかた、多数の人に好まれて伝えられ、いろいろなバリエーションがあるのであります。それぞれに言及すると煩雑になりますので、このあと私が選んだ説だけを記載することをご了承ください。
呂翁は盧生に言いました。旅の人よ。そなたはずいぶん男ぶりがいい。賢そうだ。ひとかどの人物と見える。これからどこへ行こうとしなさるのかな。
白髪に白髭、白長顎髭、フォー、フォー、と声を立てて笑う老人を想像すれば、当たらずとも遠からぬイメージでしょう。
盧生は、自分の半生を打ち明けます。
私は貧しい寒村に生まれました。物心のつく前から一所懸命、農作業に勤しみ、働いて働いて働いて参りましたが、弟も多く、妹も多く、我が家の土地で収穫される食糧だけではとても賄えません。
私は村の中でもっとも頭がよく、近隣の村を合わせても過去何代さかのぼっても私ほど秀でた人間はいないそうです。私は、狭い土地を耕して耕して耕して一生を終えるよりも、進士になって出世したいのです。
うむ。私はそなたにこの枕を授けよう。
と、呂翁は盧生に言いました。これは夢がかなう枕である。この枕でお眠りなさい。フォー、フォー、と。
まさかそんなこともあるまいに、と、盧生が枕を使ったところ、どうしたことか何か覚醒しました。眠っている能力が目覚めたとでも言いましょうか、どんな難解な文章もすっと頭に入ってきて、記憶にばちっと定着し、筆を持てば名文すらすらと浮かんでくるのです。
もともと頭脳明晰な努力家でありましたが、虎に翼が生えたとはこのことで、最難関の科挙の試験に一発合格、職場でも頭角を現し、とんとん拍子に出世していきます。
器量も気立もよい若い娘と一緒になり子宝にも恵まれます。
当時、三権分立はなく、司法も立法も行政も全部こなしました。困窮者を助け、悪徳業者を追放し、農業生産性を高め、商工業を援助して経済を回し、民の生活は豊かになり、そんな実績を認められ、時の天子の覚えめでたく、盧生は、直属の諮問メンバーに抜擢されました。生まれ育った村を訪ね、弟や妹、甥や姪、幼馴染たちに、下賜された品々を分け与えて、故郷に錦を飾ったのもこの頃です。
が、目に余るサクセスストーリーをねたむ人も出て参ります。贈収賄の讒言(ざんけん)に濡れ衣を着せられて、一転して獄中の人となります。昨日までの栄誉も笹の露、失意の盧生に追い討ちをかける極刑の判決が告げられました。
身に覚えのない冤罪で私は死ぬのか。死ぬ前にもう一度、家族と会いたい。盧生は思いました。
いよいよ刑が執行されようとしたその時、息せき切って駆け付けた早馬がありました。暫く、暫く。天子様の仰せである。その罪は間違いであった。盧生を釈放せよ。
汚名は晴れました。すんでのところで一命を取り留めた盧生は、その後、ますます職務に励み、丞相という地位にまで登りつめました。引退後は子や孫ひ孫に囲まれて穏やかな生活も、病を得て死期を知り、床に臥してすっかり老いの白髪となった妻のしわしわの手を握り、微かな声で、私の人生、波瀾万丈、悔いはない、いろんなことをなした、そなたが証人じゃ、と。二つの眼を閉じ、ふー、もう二度と吸うことのない最期の一息を吐き出しました。
と、そこで盧生は目を覚ましました。枕から頭を離すと、隣で呂翁が黍を炊いています。その黍は、まだ炊き上がっていませんでした。
邯鄲一炊(いっすい)の夢というお話であります。
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